智恵袋でも延々と続く死刑存置、廃止の議論。

それぞれの意見を集約し、なぜこの議論がこうまで白熱するのか、考えてみます。

 

まず、刑法には死刑を刑罰に予定している条文はいくつかありますが、たとえば

 

刑法199条は

 

「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」

 

というシンプルな条文です。この30文字ほどの一文によって規定される内容は、

「人を殺す」という凶悪犯罪について、ばっさりと5年以上の(有期)懲役か

無期懲役か、死刑、と3通りの処罰があることを示しています。

もちろん、「人を死なせる」のと「殺人」はその意図がまったく違うので、

事故や、過失で思いがけず人を死なせてしまった、場合はこの条文の適用は

ありません。199条は、殺す意図(殺意)を持ってわざと殺した、場合だけです。

過失致死などは殺人とは言いません。殺人かどうかは、逮捕時にどの容疑かを

捜査機関が選択して裁判所に逮捕状を請求します。交通事故でもあまりに

人を死なせるようなあからさまな過失がある場合は、過失ではなく意図的な殺人と

みなされて罪の重い殺人容疑に変更されることがあります。

そして、殺人者はすべてが死刑になるわけではありません。

 

「人を殺す」と一言でも、その実際の犯行には、「思い余って」もあれば、「恨み骨髄」

もあれば、「病弱な老妻の将来を悲観して」もあれば、ただ「金ほしさに」もあれば、

「誰でもいいから殺したかった」という馬鹿者もいれば、「保険をかけて仲間3人を」

など、それぞれ背景があります。それぞれの事情を十分に検討するために裁判が

あって、容疑者の言い分は弁護士とともに本人が十分に弁解できるようになっていて、

最終的に裁判長が過去の判例などを基準として「何年の懲役に処す」「無期懲役に処す」

または「死刑に処す」と判決を言い渡すわけです。そこの「匙加減」で最悪の判決が死刑に

なるわけですが、この死刑制度について賛否両論、意見が割れています。

  

死刑廃止論者の主な主張

 

 ①冤罪の可能性がある限り、死刑は取り返しがつかない。

 ②先進国ではアメリカの一部と日本を除いて廃止に向かっている

 ③犯罪者にも人権がある。国家といえども、人権を侵害する権利はない

 ④死刑に犯罪抑止力があるという証明はなされていない。

 ⑤憲法で公務員による残虐な刑罰は禁止されている。

 ⑥犯人を死刑にしても被害者は戻らない

 ⑦死刑は終身刑などでその効果は代替可能である。 

 

死刑存置論者の主な主張

 

 ①人を殺すような犯罪者に人権を認める必要はない

 ②冤罪は慎重な裁判によって防げる。完全に間違いがない場合を除いて

  死刑判決が言い渡されることはない。 

 ③日本には独自の国民性があり、古来より報復、復讐を是としてきた。

  死刑は日本の国情に合うもので、他国の意見に惑わされる必要はない。

 ④自分の身内を殺されても、死刑を否定できるか

 ⑤社会の安全を守るためには危険要素である殺人者を排除することも必要。

 ⑥人を殺した者が自分の命で償うのは当然。

 

もちろん、他にも様々な廃止、存置の意見があります。

 

 死刑制度は、現在国民の85パーセントほどが存置賛成であると言われています。

反対派は少数派ということになりますが、賛成派の中には特に関心もなく、すでに

あるものはそのままでいい、というような消極的賛成も少なからずいると考えられる

のに対し、反対派は積極的に廃止すべきという意見を主張する人がほとんどで

なぜ反対なのか、ということについて明確な意見を持っていると考えられます。

(人の命は地球より重い とかいう言葉に取り付かれているだけの意見であっても)

 

可能な限りどちらにも偏らず、賛成反対の意見を検討したいと思っています。

(です、ますはここから省略します、 です。)

 

まず、もっとも根拠とされる冤罪の危険性について

 

 冤罪は極端に言えばすべての判決に潜む危険性、と言える。

 現行犯逮捕でも、間違いないといえるのは実行犯であるというだけで、

 計画的か殺意があったか、殺害に至る事情に情状酌量の余地はないか、など

 裁判で争点となるような情状の点について、密室での調書作成がすべて信用

 できるか といえば、疑問の余地が残る。その犯情が量刑に影響する以上、

 ただ「殺人現行犯」という事実だけで量刑を決定することはできない。

 つまり、やむを得ない事情があったという点を無視されれば、情状酌量において

 不利となるが、捜査官が供述調書を正確に書かなかったら、裁判官に伝わらず

 量刑を重くされる恐れがある。捜査官の思惑で事件の真実がゆがめられるケースは

 過去に多数発表されている。裁判官は必ずしも事件の真相に迫っているとは

 断言できない。

 

 増して冤罪の恐れがあるならばそもそも刑罰を科すことは間違いである。

 裁判官は判決を下すまでの審理で、絶対にこの人が犯人であり、酌量すべき事情も

 すべて検討した結果、この量刑が相当である、というゆるぎない確信を持っているのが  当然である。それは当然死刑裁判に限ったことではない。

 わずかでも疑問があるならば、潔く無罪とすべきであって、あくまでも刑を科す以上

 は間違いなく犯人であるという確信は大前提であるから、冤罪の恐れは0パーセント

 でなければならない。

 裁判官が無罪を言い渡して誰かに害になることはないが、有罪には重大な危険が

 内包されているのであるから、「疑わしきは罰せず」を徹底すべきである。

 その鉄則が厳守されていると信じて、なお一点の疑問もないから有罪になるのだ、と

 世間は理解する。死刑はことさらに慎重な審理を尽くすべきであるのは言うまでもない。

 

 つまり、冤罪の可能性は死刑を選択するかどうか、という局面だけで問題となる

 ことではない。この点、反対派の言う、冤罪の可能性があるのに命を奪えば

 取り返しがつかない、という論理は無用である。命を取らなければ取り返しが

 つく、という考え方はありえない。終身刑であったとしても、長年服役した後、

 冤罪の証明がされた、といって取り返しのつくものではない。冤罪の危険は

 すべての取調べ、裁判の過程で完全に排除する方法を確立する必要があるので、

 そのために、無罪の疑いが一点でもあれば、その容疑者は無罪にするのが相当で

 捜査機関が有罪を完全に立証できないならば、容疑者は無罪と認めるべきである。 

 また、警察や検察の昇進で、検挙率や有罪率を 評価の対象とすることは問題がある。

 証拠捏造や誤認逮捕など、大半は点数稼ぎから生み出される罪悪だからである。

 それを評価するというのであれば、誤認逮捕、自白強要など違法捜査が明らかと

 なったら、その捜査官を懲戒免職にするぐらいの責任感が必要である。

 冤罪を徹底的に避けるためには冤罪を生む恐れのある要素を放置してはならない。

  

犯罪者の人権について

 

 この問題は、人権とはそもそもいかなるものか、ということが問題となるのは

 当然であるが、 思うに古来、独裁者や政権保持者の独断専横によって、

 国民が塗炭の苦しみを強いられた歴史から、民主主義が勝利した近代、

 「国家」「君主」などによるいわゆる「お上」の一方的強権に対する概念として、

 個人の権利、つまり人権というものが認められるようになったのではないか。

 国家権力に対抗する権利として人権があるのであれば、殺人者にも人権は

 当然にある。しかしそれは、お上の恣意によって生命財産自由を犯されない、

 という権利であって、犯罪者となれば権利を制限されて当然、自由を剥奪されて

 逮捕拘束され、刑罰を科されるのは人権の侵害ではなく、憲法にも明記されている

 とおり、「公共の福祉に反しない限り」においてのみ認められる権利なのだから

 公共の福祉(社会秩序の維持など)のためには当然制限される前提である。

 犯罪者にも裁判で弁明する権利など権力の恣意を忌避する人権は認められていて、

 犯罪が立証された後、あらかじめ定められている法に基づいた公平な処分を科す以上、 人権は十分尊重されている。横暴な国家権力の専横とはいえないからである。

 つまり、犯罪者に対して裁判によって法に基づく刑罰を科すにあたって、人権の侵害は

 問題とはならない。何人も人権はあるが刑罰を拒否する、という権利はない。

 

先進国では米国の一部と日本以外に死刑制度のある国はない。

世界的潮流として、死刑は廃止の方向にある。

 

 先進国とはどういう国を指すのか。それは刑罰を論じるときに問題となる

 基準たりえるか。先進国の刑罰はどうあるべきというのか。

 米国は先進国か。だとしたら、夜間女性が一人歩きしたら数分で命を奪われるか

 間違いなくレイプされる、などと言われる治安の悪さはどう説明するのか。

 数分に一件の殺人事件が起こるような国が先進国であるならば、先進国かどうかと

 犯罪や刑罰については関係がないということになる。

 また、世界の趨勢として、という論理は、たとえば軍隊を持つ国が多ければ

 軍隊を持つべきと考えるか、税金が高い国が多ければ税金をあげるべきか、

 など、刑罰に限らずすべての面で趨勢を意識して行動する必要があるかという

 反論がある。死刑制度だけ世界の趨勢を意識する必然性はないのである。

 よって、世界の趨勢についてはそれぞれの国情によって政治や制度が異なる

 のが当然であって、それに左右されることは必要でない。

 

死刑の抑止力は証明されていない。死刑があっても死刑相当の犯罪は減少

するという証拠はない。死刑制度のない国が凶悪犯罪が多い、という証明も

ない。

 

 抑止力を測るのに、国情の異なる国の犯罪データを使用しても意味がない。

 日本で、死刑制度を廃止して、以前と比較するのなら、死刑の抑止力は

 一応統計的には確認できるが、凶悪犯を現場でためらわず射殺するような国で

 死刑が不要だとか言うのでは事情が違いすぎる。しかし、刑罰を恐れて犯罪を躊躇

 したり、 中断することはありうると考えられる。取り締まりや交通量に関わらず

 信号無視や速度違反を慎むのは、検挙を恐れる心理と無縁ではあるまい。

 まったく気にしない人間がいるからといって、抑止力を否定する根拠とはならない。

 

 それ以前に、抑止のためだけに死刑制度がある、わけではないことも忘れて

 はならない。国によって凶悪犯罪の多い少ないは、国民性その他、複雑な要素

 が考えられるので死刑制度だけの抑止力を推測することは無意味である。

  

犯人を死刑にしても被害者は還らない。復讐は殺人の連鎖であって、根本的な

解決にはならない。

 

 被害者を還すということ、つまり原状回復は殺人事件でも不可能であることは

 議論の余地のないことで、それは刑罰の目的を妨げない。また、死刑は犯罪に

 対する最高刑であるが国家が被害者に代わって復讐するのが目的ではない。

 懲役刑でも、禁固刑でも、罰金刑でも、被害者のために科すのではない。

 社会の秩序(公共の福祉)を守るために反社会的行為を罰することによって

 反社会的行為、つまり犯罪というものを明確にし、国民相互間でお互いに他人の

 権利を侵害しないように努めさせるために法があり、それに反する行為を禁じる。

 ペナルティはとりもなおさず、犯罪者に不利益を与えるという予告であって、

 抑止力になるものである。禁止されているだけで罰則のない規定が守られない

 ことが多いのは、刑罰の抑止効果を証明している。

 また、犯罪を罰することには根本的解決の効果は期待されていない。ある犯罪が

 多発するとき、根本的解決を考えるのは立法と行政の仕事である。司法は結果を

 法に照らして違反の有無を判断し、違反を処罰するだけである。

 被害者が生き返らないから、死刑に意味がない、という理屈を正当化すると、

 すべての刑罰には何の意味もないことになる。刑罰は原状回復のためではない。

 

終身刑で死刑の代替をすればよい。生涯悔悟の念を味あわせることによって

償いとする方が効果的である。死刑では改悛の時間がない。

 

 終身刑とは仮出所のない懲役刑である、という。生涯を囚人として刑務所で

 生活させれば、死刑以上の苦痛であり、これこそ刑罰の本位とするとろである。

 これは、死刑廃止ありきの提案であっても、数少ない建設的な代替案と言える

 かも知れない。ひたすら殺すな、と感情的にわめくより、こうすれば死刑によらず

 死刑に等しい排除効果も期待できるというもの。現実的に死刑を廃止すれば

 この方法しかないと思われる。現在、130余名が死刑囚として独房に監禁されて

 いるが、この囚人を生涯健康に配慮し、衣食住を不足なく与え、寿命つきるまで

 生かしておくことは財政的にもさほどの負担とはいえないであろう。現実に執行待ち

 の囚人がそうしているわけだから。ただ今後人数がどう推移するかは予測不能。

 改悛するか、悔悟の気持ちになるかは別として死刑を廃止すべきという廃止論の

 よりどころと言える。

 

死刑廃止を決定実施したとして・・・

 

 まず、一番に考えられることは、現在、最高に悪質な凶悪犯が死刑となる、

 とすると、死刑廃止によってその刑が終身刑となる、つまり文字通りの無期懲役

 である。すると現在無期懲役刑に相当する犯罪は有期刑に格下げせざるを得ない。

 つまり、すべての刑を均衡維持のために格下げせざるを得なくなる。

 現在命で償うほどの罪でさえ、刑務所で生きているわけだから、後はそのまま、

 というわけにはいかないだろう。無期懲役と終身刑の実質的な差はないから。

 やがて、生涯閉じこめておくなんて非人道的だ、という心優しい「人権派」が

 終身刑の廃止を主張し始めるのではないか。 そうならないという保証はない。

 ただし、凶暴にも多数の児童を惨殺して「死刑になりたかった」などという馬鹿者は

 いなくなる。死刑廃止派が理想とする「実施後」の日本の犯罪事情、国際的評価が

 彼らの主張どおりにどれほどよくなるのか、見てみたい気もしなくはない。

 

私自身は、死刑制度賛成派である。これだけのことをした人間が実際に命を

国家権力によって奪われた歴史がある。死刑がいやなら殺すな、何があっても

人を殺すな。まっとうに暮らせば刑罰を恐れる必要はない、法を犯すな。

死刑にしろ、交通違反にしろ、犯さざるもの罰されることなし、そういうことである。

死刑があるから、国家権力が殺人をするのではない。犯罪があるから、刑罰が

科されるだけのことである。どんな非人道的刑罰も、ただの飾りになってしまえばよい。 

 

やさしい自分が大好きで、自己陶酔したい人は他のことでやればよい。

何が嫌いといって、感情的に理屈にならない理由をわめいて、ただ人殺しだの

野蛮だの、賛成派は頭がおかしい、など自分と違う意見に対して冷静に話を

する姿勢のなさである。今まで、智恵袋で死刑廃止の意見を読んで、傾聴に

値する意見というものを見たことがない。